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Agi i Ema アギとエマ

セルビア映画 (2007)

Igora Kolarovaによる同名原作(2002)の映画化。住む家を次々と変えることが趣味の風変わりな両親をもつ9歳のアギは、今回が18回目のお引っ越し。始終学校が変わるせいで友達もできず、いつも一人ぼっち。それでも何とか生きていけるのはアギに素晴らしい空想癖があるから。この18回目の引越しで、移り住んだ大きな庭付きの家の隣には、ボロボロになった風変わりな家が建っていた。そこに住んでいたのは、本人の言葉で「生まれて30200日」(82歳)になるエマというお婆さん。彼女は、アギのよき理解者となって、孤独なアギを理解し助けてくれる。これが原作の筋書きのようだが(原作を読んだわけではない)、映画を観ている限り、もっと別の解釈も成り立つ。元々、アギは、空想癖がとても強い。赤い球を6つ持っていて、引越しのたびにそれを持ち歩いている。映画の冒頭では、赤い球をリンゴに変え、魔法で呼び出した馬に食べさせる。それは、あくまで空想で、実際には、嫌いなリンゴの代わりに大好きなイチゴを食べて済ましている。そんなアギが、移り住んだ家には朽ち果てたツリーハウスがあり、そこから隣の「変なボロ家」に降りていくことができるようになっている。ある日、アギがそこを通って隣に行った時、エマと初めて会うのだが、彼女は本当に存在する人間なのだろうか? それとも、このエマですら、アギが作り出した空想の産物なのだろうか? アギは、光る馬や頭が2つあるネズミを空想でつくり出すが、エマはその拡大版なのだろうか? また、映画では、アギの家のソファで横なって寝ることが趣味の叔父さんも登場する。彼とその妻もアギが作り出す空想なのだろうか? アギは、鏡を見て自分に話しかけることがとても多い。時には、鏡に映った像と本人が違った行動をとることもある。これも、もちろんアギの空想。この孤独な少年は、自分に対する両親の「完全な無関心」に対し、胸が張り裂けて泣きじゃくることもあるが、最後は空想で乗り越えていく。そして、19回目の引越しが決まり、エマとの別れが迫った時、アギは新たな空想の扉を開ける。映画の最後、エマは、アギの新居の近くにボロ家を移転させるが、そんなことは現実にはあり得ない。しかし、アギの空想の中でなら、どんなことでも可能だ。だから、荷物も解いていない新居で、叔父さん夫婦がソファで寝ているなんてことも起こり得る。どこまでが現実で、どこまでが空想か分からないように作られているところが、映画化にあたっての素晴らしい発想だ。主役のアギを演じるのは、撮影(2005~6年にかけての冬)時に8歳から9歳になったステファン・ラザーレヴィッチ(Stefan Lazarević)。

9歳のアギは、今回が18回目の引越し。アギの悩みは、引越しが異常に多いことだけではない。両親は、引越しをしてより良い場所に住むため、共働きで働いている。アギは、転校後初めての登校日にも1人で歩いていかないといけない。夫婦は夜も2人でオペラに出かけたり、家にいてもTVにかじりつき、アギの方など見ようともしない。アギには変な叔父さんがいて、始終ソファでごろ寝するために家を訪れる。来ても寝ているだけで、アギには何もしてくれない。学校では、アギの突飛なところが生徒の反感を買い、帰宅時には、「アギのトンチキ」とみんなに後を追われる始末。友だちなど できる環境にはない。今度、引っ越した家には広くて荒れた庭があり、前にいた子が使っていたツリーハウスがそのまま残っている。そして、その向こうには、変なデザインのボロボロになった家がポツンと建っている。両親に無視され寂しくなったアギは、ボロ家に誰か住んでいるのか探検に出かける。そこで会ったのは、エマという名のお婆さん。エマのおかしな調子がすっかり気に入ったアギは、夢の中でエマと釣りに行ってクジラのように大きな船を釣りあげたり、虐めっ子を追い払ってもらったり、空想していた動物にも会うことができる。アギはエマが大好きになり、良い感化も受ける。虐めっ子に自ら立ち向かい、鼻血を出すほど殴られるが、お陰で以後は騒がれなくなった。しかし、鼻血を流した息子を見ても、母はアギの顔どころか話も耳に入らない。あまりのことに、くやし涙にくれたアギは、エマに手紙を出して気分転換を図る。エマは、両親の代わりに学校で行われた父兄懇談会にも出てくれたし、アギが熱を出した時には、立派なノートをプレゼントしてくれた。アギはそのノートを自分の日記帳にする。そんな楽しい生活も、19回目の引越しが宣言されると一気に崩れる。アギは猛烈に反撥し、父に激しく抗議するが、軽く門前払いされただけ。頼みの綱のエマにも、両親には逆らうなと諌められる。そして、2週間後の引越しの日、そこには新たな奇跡が待っていた… 台詞の翻訳には、DVDの英語字幕とセルビア語字幕を併用した。セルビア語の表記にはキリル文字とラテン文字が使われるが、今回、初めてキリル字幕にお目にかかった。ロシア語と同じかと思っていたら、通常の33文字ではなく、ロシア・キリルのうち9文字(ё,й,щ,ъ,ы,ь,э,ю,я)がなく、代わりに見たことのない6文字(ђ,ј,љ,њ,ћ,џ)が加わった30文字なのには驚いた。

最高にキュートなステファン・ラザーレヴィッチは、日本流に言えば小学校3年生にあたるが、自然な演技に加えてコメディっぽい部分も巧くこなしている。子役として見事の一言に尽きるが、映画がセルビア以外で公開された様子はなく、DVDも購入困難なため、その存在はほとんど知られていない。同年の『Princ od papira』という映画に準主役で出演しただけで、映画界を去っている。撮影風景を見つけたので(https://www.artandpopcorn.com)、紹介する。
  


あらすじ

映画の冒頭、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』の有名な導入部に合わせ、アギが「魔法」の赤い球を持って腕を伸ばすと、それは大嫌いなリンゴに変わる。そして、場面は枯葉に覆われた引越し先の庭。そこに1頭の馬が忽然と出現し、嫌いなリンゴを食べてくれる(1枚目の写真、黄色の矢印はリンゴ、赤の矢印はアギが置いた赤い玉の1つ)〔この映画は魔法使いの映画ではない。だから、すべてアギの空想〕。馬の姿は消え、アギは庭のブランコに座ると、自分で用意しておいた「ホイップクリームをかけたイチゴ」を、おいしそうに食べ始める。そして、本人のナレーション。「ホイップクリームをかけたイチゴ。もし、アギに訊いたら、イチゴを食べることがリンゴを食べなくて済むベストの方法、って答える〔ナレーションは青字で示す。第三人称で語られる点が特徴〕。アギは、家に入る。あちこちに引越し用のダンボール箱が解かれずに積まれている(2枚目の写真)。アギは、そのまま1階の階段脇に掛けられた鏡の前に行く。そして、いきなり、鏡に向かって変な顔をしてみせる(3枚目の写真)。自分の顔をつらつらと見るアギ。オープニング・クレジットが入る。アギは鏡に向かって様々な表情を作る。あたかも鏡の中の自分とふざけ合うように。頬を膨らましたり、ウィンクしたり、驚いたように大口を開けたり(4枚目の写真)、思い切り顔をしかめたり。そして、自分に向かって、「こうやって、9歳の子が、18回も引越しできたんだ」と語りかける。アギは鏡の前を離れるが、鏡の中のアギはそのまま残っている。そして、「こうやって、9歳の子が、18回も引越しできたんだ」とくり返され、アギがベーッと舌を出す。「もう、ウンザリだ」。
  
  
  
  

引越し業者がソファを居間に置いている。「今度、ママとパパは、カシの木通りに引っ越した。アギは引越しが大嫌い。引越しする度にイライラがつのる」。母は、間仕切りの腰壁の上に趣味の砂時計を並べる。その母には「引越し大好き人間」、自分には「大嫌い人間」とコメント。テンポがいい。アギの子供部屋にも棚が運び込まれる。そして、翌朝。アギはまだパジャマ姿。しかし、父母は無言で出かける準備に忙しい。「ママとパパは働いてばかり。だけど、働いていない時も、ほとんど家にいない。めったに会えない。もしボクが両親だったら、いつも一緒にいてあげるのに」。父はアギには無言、母はアギの頭をひと撫ぜして玄関から出て行く。一旦ドアが閉まり、少し開く。アギは期待するが、それは、母が傘を取り忘れたため(1枚目の写真、矢印は傘)。今日が、アギの転校最初の日だというのに、父も母も送って行こうともしない。窓から、出て行く両親を見ながら、アギが不満をぶつける。「なぜ、こんなことするんだろう? ただ走りまわってるだけ。もし、アギだったら、仕事なんかとっくにやめてる」(2枚目の写真、窓ガラス越しの映像)。アギは、ダイニングからTVリビングへの小階段に座って縫いぐるみのクマをくるくる回している〔朝と同じパジャマ姿なので、登校前なのか?〕。「アギにとって、引越しは寂しさをつのらせるだけ」(3枚目の写真)。すると、玄関ドアがいきなり開き叔父が入って来る。「叔父さんは別だ」。「よおアギ坊主、でかくなったな」。叔父はアギの髪をぐちゃぐちゃにすると、そのままTVの前のソファに横になる。「叔父さんは、昼寝が好きで、いつも来るんだ」(4枚目の写真)。この時は、イスラム帽をかぶっているが、「いつも自分を伊達男だと言ってる。毎週 格好ががらりと変わる」のナレーションに合わせ、サッカーのサポーター風、ヒッピー風、から背広姿まで何度も姿を変える。引っ越したばかりのソファの上の映像なので、アギの記憶にある思い出か?〔この叔父、アギの空想の産物としか思えない。そもそも、引っ越したその日、アギがまだパジャマ姿のうちに入ってくること自体おかしい。1人きりの家で寂しいので、アギが空想の中で作り出したのだろう〕
  
  
  
  

その日の夜。アギはまたパジャマ姿。恐らく、両親はアギと一緒に夕食をとり、アギをパジャマに着替えさせたのであろう。両親は、オペラ鑑賞用に正装している。玄関で、母は、鏡の前に立っているアギに向かって、「ポピーちゃん、学校はどうだった?」と訊く。「今までの学校と同じ」。しかし、母は返事など聞いていない。夫と自分の服装のチェックに熱中している(1枚目の写真)。そして、「これから『魔笛』を観にいくの。早く寝なさい。チャオ!」と声をかけると、2人で楽しそうに出て行く。アギは、鏡の中の自分に向かって、もう一度、「今までの学校と同じ」と語りかける。そして、横のイスに座ると、「2足す2は4」。英語で「ローマはローマ人によってつくられた」。ラテン語で「猫は、外国語では違う呼び名」と言うと、溜息をつく。「何も変わらない。毎日が、同じことのくり返し」。翌日、アギは庭に出て行き、ブランコに乗る(2枚目の写真、矢印は赤い球)。写真に映っているブランコ、犬小屋、自動車のオモチャなどは、前に住んでいた家族が残していったもの。赤い球だけがアギの宝物。正面には、植木ごしに 古くて変わった家が見える。「何てボロ家〔страћара〕なんだ」(3枚目の写真、矢印はツリーハウスとハシゴ)。写真から、今後重要な役目を果たすツリーハウスも、前の家族が残していったものだと分かる。「どんな人が住んでるんだろう?」。
  
  
  

アギの2日目の学校。お昼休みの間、アギが、空を見つめながら、コーンに盛られたアイスクリームを食べていると、女の子が寄って来て、「アギ、いま何時?」と尋ねる(1枚目の写真)。「知らない。ボク、月から来たんだ。ここ、何もかも違ってる。時間も違うんだ。月は地球の衛星だよ。ここから38万4000キロ離れてる。今は、見えないけどね。星だっていっぱいあるのに」。とんでもない答えに、呆れ果てて女の子はプイと立ち去る。万事がこの調子だったらしく、家に近づいたアギの後ろには、同級生が5人、金魚のフンのように着いて来て、口々に、「アギのトンチキ〔глупердо〕!」とはやし立てる(2枚目の写真)。アギは、家の前に置いてある車の前で立ち止まると、助手席側の窓ガラスに映った自分の顔をじっと見る。そして、向きを変えて、悲しそうに立ち去る(3枚目の写真、ガラスに映ったアギ(矢印)は、向きを変えていない)。ガラスの中のアギは、去って行く自分に対し、「アギのトンチキ。お前はホントのバカだ」と、蔑むように言う〔アギの口はちゃんと動いている〕。アギは、うなだれたまま家の入口に向かう。すると、叔父が出てくる。「アギ坊主。どんどん大きくなるな!」と言って、髪を撫ぜ、手に持ったリンゴをかじる。「すごく変わったよな?」。そして立ち去る〔アギの大嫌いなリンゴを食べる/アギは自分がチビで成長しないと思っている→いずれも、アギの意識化の願望の空想化〕。叔父の力をもってしても、アギの落ち込んだ気分は回復しない。「アギは、どこも変わってない」。  
  
  

両親が帰宅した後、アギは真っ暗な庭に出て行く。そして、イージーシューター(「糸を引く時の回転力」で飛ぶオモチャ)で遊んでいる。それを見ていた母は、「アギって、ちょっと変わってると思わない?」と夫に話しかける。パソコンの画面に釘付けの夫は、「どこが?」と生返事。「私たちが家にいると、何か言いたそうに こっちを見てるでしょ」(1枚目の写真、矢印はアギ)。「アギはもう大きい。望みがあれば頼めばいいんだ」。冷たいようだが、アギのことを話題にしただけでも奇跡的。ただし、実際は、アギが何を話しても相手にしようとしない冷血男。翌日、アギは帰宅途中で道に迷ってしまう。通りががった男性に、「すみません。カシの木通りはどこですか? 道に迷っちゃって」と尋ねる。「学校からの帰りかい? なぜ君の両親は迎えに来ないんだ?」。「時間がないからだと思います。どこにあるか教えてください。これ以上、面倒はかけませんから。どこに住んでも、すぐに慣れるんです」(2枚目の写真)。9歳の少年にしては、とてもしっかりした応答だ。よくやく家に辿り着くと、両親はもう帰宅していて、2人ともTVにかじりついている。アギは、2人に簡単なキスをすると、2人の間からTVを見る(3枚目の写真、両矢印の間)〔2人の間に座るのではなく、背後から見ているだけなのが寂しい〕〔薄型液晶TVの普及率は、映画撮影時の2005年、先進的な日本ですら10%だったことを考えると、セルビアでは例外的で、両親の「引越し趣味」と合わせ、「新し物好き」を強調するシンボルとして使われている〕。アギは、すぐにつまらなくなり、庭に出て行く。それを見た母は、アギが帰って来た時も、キスした時も言葉ひとつかかけなかったくせに、「あの子、日に日におかしくなってくわ。見知らぬ他人に部屋を貸してるんじゃないかと思うことがあるの」と不満をもらす。最低の冷血女だ。父はTVに夢中で無言。
  
  
  

外に出て行ったアギ。昨日と違い、庭には雪が降った跡がある。アギはイージーシューターを取り上げると、隣の家を見る。「何てボロ家だ! いったい誰がこんな家 建てたんだろう?」。そして、ヒモを引く。シューターは飛んで行き、ツリーハウスの上に落ちる。アギはハシゴを登る(1枚目の写真、赤の矢印はシューター、黄色の矢印は反対側へのハシゴ)。ハウスに上がったアギは、目の前に近づいた家に驚くとともに、2本のロープと、反対側に降りる板バシゴの存在に気付く。「歪んだお城みたい」。アギは、枝を伝ってロープに近づく。「誰が住んでるにせよ、まともじゃないだろうな」。そして、枝に結んであったロープの端を投げ降ろす。ロープには等間隔に結び目があり、これと、板バシゴを使って安全に登り降りできるようになっている。「ボクにうってつけだ」(2枚目の写真)。アギは隣の敷地に降り立ち、1階を一周するバルコニーに入る。「こんな廃墟によく住んでられるな」。アギは最初の角を曲がる(3枚目の写真、矢印はアギが降りて来た板バシゴ。両側に2本のロープが垂れている)。そして、2つ目の角を曲がると…
  
  
  

アギは、そこで 奇妙な格好をしたお婆さんとばったり出会う(1枚目の写真)。「いったい誰なんだろう、この女(ひと)?」。「私はエマよ」。「ボクはアギ」(2枚目の写真)。「アギには、こんなボロ家に誰かが住んでるなんて 嘘みたいに思えた。クモ、幽霊、骸骨、ネズミなら分かるけど、エマだなんて」。エマは、いきなり突飛な依頼をする。「悪いけど、卵10個とクッキー買ってきて。そしたら、背の高さを比べましょ」。お金を渡されたアギは、素直に買い物にでかける。アギが戻ってくると、エマは、腰をかがめるような格好をして柱に寄りかかり、頭の位置に線を引く。「君の番」。アギが柱の前に立つ。エマは卵を1個取るとアギの頭に乗せ、アギは落ちないように手で持つ。エマはさらに2個手に取り、重ねて置いてみて(3枚目の写真、矢印は卵)、「卵3つ分ね」と言う〔1個7センチとして21センチ〕。そんなハズがないと思ったアギは、卵を手に取って、柱と見比べながら、「エマ、卵5・6個分は高いんじゃない?」と訊く〔35~42センチ/実際は差はもっとある〕。エマの返事は「算数、知らないの?」。エマの台所の配管は非常に複雑なので、ハンマーで叩かないとうまく水が出ない。その様子をアギがじっと見ている(4枚目の写真)。エマは、「どうして、いつも窓辺に立ってるの?」とアギに尋ねる。「知らない。ただ、何となく」。その顔が、たまらなく寂しそうだったので、エマは、「クジラ1頭洗うのに、お皿何枚分の水が必要か分かる?」と突拍子もないことを言い出す。「私たちの家を合わせたより大きなクジラがいるのよ」。気分を治したアギは、「エマ、あした映画に行かない?」と訊く。「終わったら、散歩しましょ」。「クジラの話をね。それから、生クリームのかかったイチゴ」。「いいわよ」。ここで、なぜか、『天使の詩』で使われたモーツアルトのピアノ協奏曲23番の第2楽章が流れる。「エマ、ママとパパはどこにいるの?」。「そうねえ、すぐ近くじゃないかしら」。「よく会うの?」。「あんまり。君が、私みたいに年取って、両親に会いたくなったら、写真を見るか、夢の中で会うしかないわね」。「今のボクが、そうなんだよ。写真か夢の中だけ」。とても寂しい言葉だ。
  
  
  
  

どしゃ降りの中、アギがいつもの道を通って帰ってくる。「アギのトンチキ」とはやした立てるワルも同じ。アギは、自動車の窓の前に来ると(1枚目の写真)、窓ガラスに映った自分に向かって、「よく聞けよ。ずばり言うぞ。あいつらサイテーだ」と思いをぶつける。傘もレインコートもないので、全身ずぶ濡れだ。家に入ると、父がTVを観ている。アギが、雨がしたたり落ちる髪のまま、TV画面の前に立つ(2枚目の写真)。こうすれば、父にも自分の姿がちゃんと目に入るだろうし、同情でもしてもらえると期待したからだ〔TVを観るくらい暇なのに、どしゃ降りなのに、車で迎えに行きもしない〕。TV画面の3分の1が塞がれたので、父は、仕方なく、「学校はどうだった?」と訊くが〔普通なら、ずぶ濡れの息子を心配する〕、目はTVに釘付けになったまま。アギは、父の態度に絶望し、その場を去ると、途中に置いてあった大きなハンマーを手に取る。として、手の平を軽く叩いてみて、鏡の前に行って自分を見る。「ママとパパは、アギがウチ中の物を壊したら、振り向くかな?」。そして、アギは、母が大切にしている腰壁の上の砂時計を片っ端から叩き壊す(3枚目の写真、矢印)〔全部で7個〕。アギは、鏡の前に戻る。「ザマみろ。もっと大きなハンマー、探してこよう」。ただし、後のシーンで同じ砂時計が並んでいるので、すべてはアギの空想だと分かる。
  
  
  

アギは2階の自室に行き、雨で濡れた窓辺から外を眺める(1枚目の写真)。「周りのこと、最初は何も分からなかったし、今でも、ぜんぜんだ。分からないことだらけ… どうして雨が降るのか? どうして、ボクの名前はアギなのか?」。この時、アギの空想でイルカが跳ねるのが見える。「誰が、イルカに泳ぎ方を教えたのか?」。アギは窓から離れ、濡れた上着を脱ぎ、ベッドに腰掛ける。「アギは、誰からも教えてもらわなかったけど、上手に泳げる。一度、ママとパパと、プールか海に行っただけ」。そして、濡れた髪をタオルでごしごしこする。ベッドに横になって天井を見上げると、イルカの泳ぐ姿が見えたので、アギは満足する(2枚目の写真)。イルカがいなくなると、「今は、かくれんぼにちょうどいい」。ベッドにうつ伏せになり、大急ぎで数え始める。「ボク1人で かくれんぼ? ぜったい見つからないぞ」。数え終わり、「いくぞ!」。アギは、後ろの壁を振り返り、「みつけ!」。「アギは名手なんだ。自分だって、すぐに見つけちゃう」(3枚目の写真)。孤独な1人遊び。
  
  
  

アギは、そのままベッドで横になって寝てしまう。冬眠中の白熊の夢を見ていると、「アギ、起きて!」という声がする。アギが目を覚ましてベランダに出ると(1枚目の写真)、庭には釣竿を手にしたエマがいた。「服を着て。急いで」。防寒服に身を包んだアギが出てくる。「暖かい格好でよかった。でないと、氷漬けよ」。そして、「抜群のソース作ったのよ。スーパーの魚じゃもったいないでしょ」と言う。なぜか、門からは出ず、ツリーハウス・ルートで移動。「釣りに行くのよ」。「釣ったことあるの?」。「覚えてないわ」。「許可は取った?」(2枚目の写真)。「許可? 両親から? 警察から? 君はガキンチョ、私も似たようなもんでしょ。それでも許可がいるなら、世の中どうかしてる」。氷結した湖の真ん中に行き、氷に開けた丸い穴に釣り糸を垂れる。アギは。「学校じゃ、初目からマズいことしちゃった。仲良くしようとして、ついペラペラしゃべっちゃった。どこかおかしいって、思われたみたい」と打ち明ける。エマは「子供たちって、ムキになるとしつこいから」と慰める。釣り糸が急に引かれ、大物がかかる。2人がかりで引っぱっていると、「モーツアルト丸」と書かれた大きな船が寄って来る(3枚目の写真、矢印は釣り穴)。場面は、再び白熊になり、冬眠から目が覚めてしまう。そこで、アギの目が覚める。すべては夢だった。アギは、冬眠中の熊を起こして悪かったと悩む(4枚目の写真)。お腹が空いたのでキッチンに下りていく。真夜中なのに、キッチン・テーブルの上にはパンとジャムが置いてある。「アギの食欲は宝くじと同じ。いつお腹がすくか、誰にも分からない」。すると、深夜にもかかわらず叔父が登場し、ソファで寝てしまう。このことからも、「叔父=空想の産物」説が裏付けられる。この直後、カメラが切り替わり、アギと、腰壁の上の砂時計が映る。さっき、「叩き壊し」てから半日も経っていないので、砂時計の破壊シーンがアギの空想だったことも分かる。
  
  
  
  

翌日、エマは、郵便受けに船の絵を描いている(1枚目の写真)。これは、アギが昨夜見た夢に呼応するものだ。私は、この場面から、「エマは実在するのだろうか?」と、疑い始めた。アギの隣の「ボロ家」には、実は誰も住んでいないのかもしれない。エマは、18回目の引越しが生み出したアギ最大の空想の賜物かもしれない、という疑問だ。この疑問を補強するような証拠は、このあとも幾つも現れる〔前回、エマが、高年齢にもかかわらず危険なツリーハウス・ルートを通ったのは、アギの夢の中なので証拠にはならない〕。画家気分で塗り終わったりエマは、中に入っていたアギからの手紙を読む。「エマ様。ボクは、階段の踊り場にいます(2枚目の写真)。ここでちょっと休んでから、もっと上の屋根裏部屋に行きます。怖いトコなのかも。でも、ボクはぜんぜん怖くありません。平気なんです。屋根裏には、きっと何かいます。全部捕まえてから、手と足を洗います。清潔は大事ですから…」。最後は、「元気ですか? ボク、寂しいです。今日は3回しか会ってません。アギ」で終わる。読み終わると、エマは家の中に駆け込む。いつもの下校時のヤジ。そこに、毛皮のコートで身を包み、手に長ホウキを持ったエマが立ちはだかる〔ホウキの柄に変な飾りが付けてある〕。そして、「アギは天才よ!」と叫んでホウキを振り回す。変なお婆さんなので、子供たちは笑いながら逃げて行く(3枚目の写真)。その後、アギとエマは仲良く肩を組んで歩く。エマは、「子供のころ、騎士になるのが夢だったのよ。友達は、みんな公爵夫人か、ファッションデザイナーか、大旅行家か、有名作家になりたがってたけどね。ピアノの調律師だった伯父は、『騎士は大変な重責だし、今はそんな時代じゃない』と言ってたわ」と話す(4枚目の写真)。この間、エマの着ていた毛皮のコートは、鎧に変わっている。手に持っていた飾り付きのホウキは、先端に縫いぐるみをぶらさげた棒に変わっている。エマは魔法使いではないので、これも、「エマ=アギの空想」説の証拠。
  
  
  
  

翌朝、アギが、玄関ドアに油をさしている父に、「パパ」と声をかけると、「後にしろ。パパは忙しい」と追い払われる。そのまま門まで行くと、叔父がバギー車で乗りつけ、ひとくさり自慢して、そのまま立ち去る。「居眠り運転しないといいけど。健康に悪いから」。アギがドアを開けると、ドアがきしむ。閉める時も「ギー」。さっそく、キッチンカウンターにいる父に、「パパ?」と声をかける。「後にしてくれ」。「ドアが…」。「アギ、邪魔だ。今は仕事中」(1枚目の写真)。何かを飲んでいただけの父は、急に何かを書き始める。最低の父親。自室に上がって行ったアギは、エマに手紙を書く。「エマ様。今日、ボクは、身の回りの『奇妙な〔чудно:奇妙な、と、滑稽なの意味しかない〕』ものについて考えました。そしたら、すべてが奇妙だったんです」(2枚目の写真)「アイスも、月も、プードルも、サンドイッチも。そこで、特別奇妙なものを考えました。体が2つあるネコです」。その時、洗濯した着替えを持って母が入ってくる(3枚目の写真)。アギは、さっそく、「ママ、ボクが見たもの、きっと信じないよ」と話しかける。「話してみたら」。「体が2つあるネコだよ」(4枚目の写真)。返ってきたのは、「目が変になるには、若すぎるわね」という皮肉。アギは手紙を締めくくる。「体が2つあるネコはいますか? もし、ダメなら、緑色に光る赤い馬はどうですか? アギ」。
  
  
  
  

アギが2階から降りてくると、母はTVの前で雑誌を読んでいる〔父は、その横でTVに熱中〕。ここでも、アギがハンマーで壊したハズの砂時計が並んでいるのが確認できる(1枚目の写真、矢印は左端の砂時計)。アギは外に出て行く。もう真っ暗だ。郵便受けからエマからの真っ赤な封筒を取り出す。そして、街灯を頼りに手紙を読み始める。「ネコじゃなくて、頭が2つあるネズミはどうかしら? 馬は素晴らしいわね! 特に、停電になったら…」(2枚目の写真)。この時、周辺の街路灯が一斉に消える。「…そんな馬が10頭もいれば、街路灯の代わりになるもの」(3枚目の写真)。アギは、玄関に戻る途中の通路で、頭が2つあるネズミに出会う(4枚目の写真、矢印)。ここは、お伽噺の世界ではないので、すべてアギの空想。
  
  
  
  

翌日、アギは、エマの家に行く。エマは、少女時代に飼っていた犬のことを話す。「どうなったの。「死んだわ」。そして、どんなペットでも、飼い主同様、いつかは死ぬんだと話す。犬に起こされなくなったから、よく眠れるようになったとも(1枚目の写真)。そして、話題を変え、その時から写真を撮るのを趣味にしたと話し、2人で仲良くパチリ(2枚目の写真、矢印は液晶モニターに写った2人)。次のシーは、屋外のスケートリンク。エマが初心者のアギにスケートを教える。最初は、リンクで滑っている人をアギに見せ、芸術派、慎重派、めちゃめちゃ派に分類する(3枚目の写真)。アギは、ずっこけ派で終わる。エマは、へたっぴがぶつかってきたら 跳ね除けちゃいなさいと教える〔この部分、英語字幕、セルビア語字幕、スロベニア語字幕の3つを併用したが、初めて意味が分からなかった〕
  
  
  

そして、学校からの帰り。アギは、意を決して立ち向かうことにする(1枚目の写真)。その結果、勝ったかどうかは不明だが、アギは鼻血を出して玄関から入ってくる(2枚目の写真)。鏡でその姿を見つめるアギ。そこに母がやってくる。母は、同じ鏡で自分の服装を確かめる。アギの鼻血など眼中にない、アギは振り返り、「ママ、明日は父兄懇談会だよ」と教える(3枚目の写真)。「そお。ほら食べて。じゃあね」。母には、懇談会に行くつもりはらさらないし、アギが鼻血を流していても気付きもしない。最低のクズ。アギは、納戸のような狭い場所に行くと、泣き崩れる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

アギは2階に行くと、机の前に座り、手紙を書き始める。顔中涙と鼻血でぐちゃぐちゃだ。「エマ様。泣いちゃいました。ワケは聞かないで」(1枚目の写真)「アギ」。短い手紙を書き終わると、アギは窓の方を見る(2枚目の写真)。涙が止まらない。手紙を紙飛行機の形に折ると、アギは窓を開け、エマの家に向かって飛ばす。瞬時に吸盤付きの矢が飛んできて窓にくっつく(3枚目写真)〔これも、すべてアギの空想という仮説の証拠〕。返事はもっと短かった。「アギ君。大好きよ。エマ」。そして、昨日撮ったツーショット写真が一緒に入っていた(4枚目の写真)。
  
  
  
  

その時、1階で叔父の声がする。アギは、階段を飛ぶように降りてくる。叔父はアギの髪をぐちゃぐちゃにする。愛情表現だ。「よう、どうした? こっちは俺の奥さんだ。叔母さんだぞ」と紹介する。叔母はアギと握手する(1枚目の写真)。叔父は、叔母の手を引きながら、「これが話してたソファだ。昼寝にサイコーだ」と説明する。そして、すぐに寝転び、叔母はもたれるように横になる(2枚目の写真)〔映画の中で、両親と叔父・叔母が一緒になることは一度もない。この点も、叔父=アギの空想説の根拠〕。アギは鏡の前に立つ。「アギは、クラスで一番のチビでヤセだ。そして、アギのことを『トンチキ』って呼ぶ。あいつら、もっと賢かったら、『盆栽〔бонсаи〕』って呼んでたかも」。それを聞いた叔母は、起き上がってにっこりする。それを見たアギもにっこり笑う(3枚目の写真、鏡が面白く使われている)〔「盆栽」は国際語だと思っていたが、セルビア語にまでなっているとは…〕。アギは、自分の顔を、鏡に近づける。「エマはサイコー。完全無欠な存在だ」(4枚目の写真、右が実像、左は鏡に写った像。鏡の使い方もサイコー)。
  
  
  
  

父兄懇談会の日、アギは、エマの家に行き、「父兄懇談会に行ってもらえない?」と頼む(1枚目の写真)。「誰も 先生に会いに行ってくれないんだ」。エマは敢然として学校に向かう。そして、教室にずかずかと入って行く(2枚目の写真、矢印)。どの生徒の親かと訊かれ、「アギですよ、もちろん」と答える。「似てると思いません? 姉ですから」。「お姉さん?」。「それが両親の謎なんですよ。でも、話を続けて下さい。私はお話を伺いに来たのですから」。
  
  

アギは、熱を出し、臨時のお手伝いさんが面倒を見ている。手伝いさんは、体温計を見て首を横に振り、サイドテーブルに置いてあったリンゴを、「食べなきゃダメよ」式に見せる〔お手伝いさんに台詞は一切ない〕。手伝いさんが出て行くと、しばらくしてエマが入ってくる。「病気なの?」。「熱が高くて、起きてられないんだ」(1枚目の写真)。「あの、でかくて怖そうな戦艦みたいなの、誰? 口髭はやして目に輪をつけてる」〔確かに でぶっちょの女性だが、口髭はないし、輪ではなく眼鏡をかけているだけ〕。「ママとパパが、ボクにリンゴを食べさせようと、女の人を雇ったの。時間通りに薬を飲んで、マズいスープ 飲まなくちゃいけない」。エマは、アギに持ってきたプレゼントを渡す。「特別なアギのための特別なプレゼントよ。さあ、開けて」。それは立派な装丁のノートだった。「わあ、立派なノートだ。日記つけるね」。「どんどん書いて」。エマは、「体が2つあるネコみたいに、君にも2つの世界があるのかもね」と言い出す〔確かに、普通の世界と空想の世界の2つを持っている〕。「他の子とは、育ち方が違うから」。「ボク、全然育ってない。一番チビだ。去年と同じサイズの服着てるもん。大人になるには、今の8倍大きくならないと」(2枚目の写真)。次のシーンは夜。両親はまだ帰宅せず、アギの世話は「怖そうな戦艦」がしている。アギが、キッチン・テーブルで日記を書こうとすると、彼女が日記を閉じて脇に寄せ、「マズいスープ」を乗せたトレイをアギの前にずらし、頭を撫でて、出て行く。アギはトレイを遠ざけ、日記を開く。「ボクは、チビで病気でイチゴが好き。他には…」。彼女が戻って来て、同じことのくり返し。「監獄みたい。もし、エマがいなかったら、とっくにキッチンの窓から逃げ出してる。世界一のおデブさんだから、つかまりっこない」。彼女は、最悪のリンゴを持って来て 頬を撫でる。「それに、捕まったら、リンゴを山ほど食べさせられる」。日記はさらに続く。「パパは、僕が現実の世界に住んでないみたいだと ママに言ってた。いったい何のことだろう? エマは、みんなが現実の世界に住んでたら、窮屈になるって言ってた。もし、ボクがエマだったら、どっちの世界に住むんだろう?」。ここで、画面は翌日になる。アギが体温計を抜くと、エマが入ってくる〔アギは、TVの前のソファに座っている〕。「何度?」。「36.9」。「もう治ったわね」。エマは家から持ってきたイチゴ・アイス入りのタッパーを渡す(3枚目の写真、矢印)。その後の会話で取り上げるべき内容は、エマが、「今日は、私の30200日目なの」と言う部分。これでエマの年齢が分かる。「お祝いするようなものじゃないけど、面白いでしょ」。
  
  
  

次は、アギの庭で行われた、エマによる「ぐうたらの哲学」の講義。何のために挿入されたのか、理解に苦しむシーン。だから簡単に紹介するに留めよう。第1条は、「どんなことでも最初は困難。でも、真のぐうたらは悩んだりしない」。第2条は、態度について(1枚目の写真)。「わがままはダメ。ぐうたらは友だちと分け合うこと」。第3条:「ぐうたらは、活動的なことはしない」。アギは、第5条の「ぐうたらは、あくび人間と付き合っちゃダメ」の辺りで眠くなる。あくびをしてしまい、慌ててパッチリ目を覚ます(2枚目の写真、横にあるのは7つの「ぐうたら」を描いた紙)。第7条は、「ぐうたらは、夢想家。火のないストーブでも卵が茹でられる」というもの。これは、アギにぴったりだ。うなずきながら、ストローで何かを飲む(3枚目の写真)。アギは、ぐうたらな人のマラソンの走り方をエマに訊く。「ゴールから走るのよ」。
  
  
  

アギが学校から帰り〔もう、イジメっ子たちはいない〕、郵便受けを覗くと、叔父さんからの手製の絵ハガキが届いている。裏には、ペンギンが気持ち良さそうに寝ている絵が描かれている。さっそく両親に見せようと玄関から入ったのだが… 中では、早くも家の買い替えの話の真っ最中。「他にはないの?」。「この家を売った金じゃ、新築だと半分の大きさになるぞ」。「なら、大き目のマンションにすればいいじゃない」(1枚目の写真、ここにも腰壁の砂時計が写っている)。「庭付きの家を売ってマンション住まいだと?」。「庭なんて一度も使ったことないじゃない。ベストは、ちっちゃな庭付きね」。アギは、母に絵ハガキを見せようとするが、見向きもされない。「それがいい。ネットで捜してみよう」。今度は、絵ハガキを父に差し出す。「家が大きいと、ローンもでかいぞ」。「そんなの平気じゃない。いい職に就けたんだから」。アギは、あきらめて絵ハガキをパソコンの裏に立てかける。「何平米だ?」。アギは恐ろしい現実を知らされる(2枚目の写真、矢印はペンギンの絵)。そこで、さっそくエマの家に向かう。そこでアギが紹介されたのは、「伯爵夫人」という名の丸々とした雌鶏。アギは、「鶏だから飛べなくて可哀相」と言うが、ひょんなことから、家の横にある空き地に入り込んだ「伯爵夫人」は、そこにいた作業員のミスでシーソーから「打ち上げられ」、空高く飛んでいく(3枚目の写真)。全景が分かるので掲載した。左の黄色の矢印は、いつもアギが通るツリー・ハウス。中央の空色の矢印は、アギとエマ、右の橙色の矢印は飛行中の「伯爵夫人」。「伯爵夫人」は、そのまま飛び続け、地球を廻る周回軌道に入る〔アギの空想なので、どんなことでも可能〕
  
  
  

その後、エマはアギを連れて公園に散歩に出かける。芝は雪に覆われ、寒々としている。「伯爵夫人」の話が終わると、アギがさっきの衝撃を打ち明ける。「ママとパパは、また引越す気なんだ。ボク、引越しなんか大嫌い、ホント、ムカつく」(1枚目の写真)。エマは、「アギ、蝋(ろう)人形館に行かない?」と誘う。「いいよ。すごいや」(2枚目の写真)。「明日行きましょ。日曜がベストなのよ」。「明日は日曜じゃない。今日は火曜だから、明日は水曜だよ」。「信じられないでしょうけど、私にとって明日は日曜よ。すごく年寄りだから、曜日は決まっちゃいないの」。
  
  

2人は、蝋人形館に入って行く(1枚目の写真)。ロンドンのマダムタッソーでも建物は簡素、たかが蝋人形のためにこんな立派な建物はおかしいと思って調べたら、外観は何とセルビア共和国の国会議事堂。立派な訳だ。内部はセットなので どうにでもなる。アギが見たかったのは、前から本で見ていたチンギス・カン〔チンギス・カンの死後、3人の息子の1人、ジョチの次男のバトゥが1241年にセルビアに一時侵攻した〕。アギは駆け寄ると、服に触ったりする。手に触った瞬間、指輪をはめた中指が折れてしまう(2枚目の写真、矢印は折れた指)。展示室の入口に警備員が現れたので、アギは口笛を吹いて 「知らぬ顔の半兵衛」を決め込む(3枚目の写真)。2階に上がって行った時、エマは、「チンギス・カンが生きてたら、大変なことになってたわ」と言い出す〔セルビア語ではジンギス・カン。日本でも昔はそう呼んでいたのに、なぜ「チ」になったのだろう? 原語表記と言うなら、なぜ、モンレアルじゃなくモントリオール、アントウェルペンじゃなくアントワープ、クブンハウンじゃなくコペンハーゲンなのだろう? 名前だって、アレクサンドロスよりアレキサンダー、ダレイオスよりダリウスの方がよく使われているのに。アジア系だけ特別扱いなのか? 変な二重基準だ〕。「だけど エマ、人形は生き返らないよ」。「そうよね。素敵なアイディアありがとう、アギ」。アギは不審そうな目でエマを見ている。「エマ?」。「黙って。後で、助けてもらうわ」。
  
  
  

アギが元気よく家に入って行くと、叔父が待っていた。「アギ、どんどん大きくなって!」。「きれいな叔母さんは?」。「別れたんだ。人生、いろんなことがあるもんさ」。そう言うと、ソファに横になり、すぐにイビキをかき始める。アギは、チンギス・カンの指で叔父の顔をつつくが反応がない。アギは、「あんたは、きっとボクにしか見えない。幻〔авет〕なんだ。ボク寂しいから、何だって創り出しちゃう。そうだろ、叔父さん!」と話しかける(1枚目の写真)。これも、叔父=アギ空想説の重要な証拠。アギは2階の部屋に行く。エマの家の窓から、人影が何かをガンガン叩いているのが見える。それを、何だろうと見ていたアギは、溜息をつくと、「ま、いいか」という顔になり(2枚目の写真)、机に向かって座ると日記帳を開く。「ボクは叔父さんが大好き。叔父さんはバイクが大好き。でも、バイクの方は、誰も好きじゃない…」(3枚目の写真、矢印は指輪付きのチンギス・カンの指)。ここで、アギは、エマの家が気になって、もう一度窓から見る。今度は、何をしてるのか、少し不安そうな顔になる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

翌日、大きな紙袋を下げたエマが、アギと一緒に蝋人形館に入って行く。「君の努めは、警備員を楽しませること。いっぱい質問するのよ」。「何きくの?」。「いつもしてるじゃない」。エマは2階に行く。アギは、2階に行こうとする警備員の前に立ち塞がると、「なぜ蝋のタンクがないの? ナポレオンは人形好きだった? 首切り役人の像 買える? 現金でもいい?」と立て板に水で訊く(1枚目の写真)。警備員は2階に上がるのをあきらめる。アギが2階に戻ると、人だかりができている。何かと思ってかき分けて入ったアギは、思わず笑顔になる(2枚目の写真)。そこには、鎧をつけたエマが木の剣を構え、蝋人形もどきで立っていた。アギは、その前に進み出ると、横に立てかけた手製の説明版の「エメリニウス、今年の特別展示」の文字を見て、「騎士エメリニウスの伯父はピアノの調律師でした」と解説する(3枚目の写真)。2人は、騒ぎを知り駆けつけた警備員によりつまみ出される。
  
  
  

博物館から意気揚々として戻って来たアギを、父は、「話がある」と呼びつける。「ママと私は決めた。2週間後に引越しする。新しい家は素敵だぞ」(1枚目の写真)「明日、学校に行って手続きをする」。しかし、アギには、そんな話なんか耳に入らない。父のいない場所へと走り去る。それを見た父は、「何で従順な子だ。もう荷造りを始めるのか」。アギは、納戸に行くと、絶望のあまり むせび泣く(2枚目の写真)。そして、部屋に上がって手紙を書くと、エマの郵便受けに投函する。戻ってくると、新居のことで相談している両親の前に立ち、宣戦布告。頭に被っていた防寒帽をテーブルの上に叩き付ける。両親が顔を上げる。「ボク、どこにも行かない! 新しい家なんか行くもんか! ボクは、ここにいる! ボクのことなんか、どうだっていいんだろ! エマとは絶対別かれないぞ!」。父は、話の内容は聞かず、ただ、「エマ? 誰だ?」と母に問いかける。「お隣の変人よ」。「変人なんかじゃない! たった1人の友だちだ! 世界中で一番大切な人だ〔Она је најважнија на свету〕!」。このアギの魂の叫びに対し、父は、「後で話そう。今は忙しい」としか言わない。頭にきたアギは、「話すことなんかあるもんか! どこにもいかないぞ〔Ја не идем и тачка〕!」と飛び上がって怒鳴る(3枚目の写真)。父は、「もうたくさんだ! 部屋に行ってろ!」と叱る。それでも動かないアギに、「行けと言ったんだ! 今すぐ!」と睨み付ける。クズのクズだ。アギはエマの家に行く。話を聞いたエマの反応は意外なものだった。「変に聞こえるかもしれないし、もう愛されてないと思うかもしれないけど、両親と争ってはダメよ。荷造りなさい。世の中って、訳が分からなくて、思うに任せないものなの」。これを聞いてアギはがっかりする(4枚目の写真)。
  
  
  
  

バックグラウンドには、再び、モーツアルトのピアノ協奏曲23番の第2楽章が流れる。しかも、1回目とは比べ物にならないほど長い。アギは、見捨てられたように感じて、エマの家から出て行く。音楽はそのまま続き。2週間後の引越しの日になる。鏡の前で、悲壮な顔をして立っているアギ(1枚目の写真)。この鏡も、運送屋によって外される。アギは、大切な赤い球を入れる木箱を抱えて、運ばれていく鏡を見送る(2枚目の写真)。アギは庭に出て行くと、飾ってあった2個の赤い球を取り外して箱に戻す。アギは、6つの球が入った箱を抱え、ブランコに乗って意識を集中する(3枚目の写真)。「アギの胸は燃えるみたいだった。大きなエンジンを飲み込んだように」。すると、赤い球が1つずつ、生命を宿したように光りを発する。そのうちの1つがクローズアップされると、球の中に、映画の冒頭と同じシーンが現れる。アギが赤い球を持って腕を伸ばすと、それはリンゴに変わる。そして、場面は3階建の家が連結した真新しい住宅地の前に変わる。アギがリンゴを持っていると、1頭の馬が寄ってくる(4枚目の写真、矢印)。アギは、あぶみについていた乗馬帽を被ると、馬に乗る。馬は、短い距離だが、アギを数軒先の家の前まで運んでくれる。郵便受けには「4」と書かれている。それに目をやりながら、アギはドアを開けて中に入る。音楽はまだ続いている。
  
  
  
  

アギが2階に上がっていこうとすると、トイレのドアが開いて叔母が出てくる。そして、ソファでイビキをかいて寝ている叔父を見て、アギに、「亡霊みたいね」と声をかけ(1枚目の写真)、叔父に寄り添って寝る〔①叔父は、別れたと言っていた、②荷物も解かれていない新居にきて寝ている。この2点から、何度も書くが、叔父はアギの空想の産物でしかないと断言できる〕。アギは、そのまま上がって自分の部屋に行く。そこには、荷物が雑然と置かれている(2枚目の写真)〔前より、狭くなった〕。すると、外から、「アギ」と呼ぶ声が聞こえる。「アギ! 甘やかされた駄々っ子〔размаж ено дериште〕!」。窓から覗くと、そこにはエマがいた。「さあ、降りてらっしゃい。やることが山ほどあるわよ! 急いで!」。アギは飛んで行き、エマに抱つく(3枚目の写真)。「私とサヨナラしちゃうと思ってた? ちゃんと近くに引っ越してきてあげたわ」。エマの「ボロ家」は、通りの先に建っていた(4枚目の写真)。これからもずっと、エマは同じようにしてアギと一緒いてくれるだろう。アギは、もう一人ぼっちではない。それを祝福するかのように、割ると音のする魔法のシャボン玉が静かに降ってくる。原作では、書評に書いてあっただけなので間違っているかもしれないが、エマはアギの新居のそばに家を「買って」移り住んだとある。映画では、エマの家が魔法のように、そっくりそのまま建っている。エマは魔法使いではないので、すべてがアギの空想だと判断せざるをえない。
  
  
  
  

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